a day in the gatela

主に趣味のギターにまつわる内容を書いています。コメントや質問等、お気軽にどうぞ。

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回引っ越しをした。


1回目は20歳の時。なんとなく20歳になったら家を出ようとずっと思ってた。
だから出た。引っ越し先は8畳のワンルームマンション。バストイレは当然別。
新築で学生だった俺には贅沢な環境だった。名古屋の人しか解らん情報だけど、
御器所って駅から南東に100m程入ったトコで、ハードコアやパンクを中心に扱
うレコード屋、小さいけど楽器屋、表に出ればコンビニ、喫茶店にミスド
ツタヤ、ゲオ、本屋、パン屋、ライブに行くのも飲みに行くのも徒歩か自転車で
充分な、若い環境でセッセと曲を作って詩を書いて遊んで飲んだ。


2回目は岐阜県揖斐郡周辺の北方町。3DKの築40年のボッロボロアパート。家
賃は駐車場込みで4万。水道代はタダ。井戸水だった。トイレは紐を引っ張ると
頭上のタンクからドドドッと流れる。いや、落ちてくる。玄関のドアは床と5セ
ンチ程の隙間があって訪問客のツマサキが覗く。
壁もベッドルームも2センチ程の隙間が空いていて、トカゲやカマキリが何度か入
り、風呂にはキノコがはえ、天井は上の住人が歩く動きに合わせ歪むアパート。
声も筒抜けで、一人暮らしというより、野生で集団生活をしている気分だった。
3年程ここでワイルドな生活を続けた。
なんたって広く、安く、8畳では足らない趣味の物が充分楽しめる空間であった。
唯1つ。電子レンジはヒューズが飛ぶので、一人暮らしの見方の冷凍食品に頼れず
豆と塩と酒が中心の生活だった。今思えばここの暮らしは最高だった。
因に、今年7月に懐かしんで訪れた時には取り壊されキレイな一軒家になっていた。


3回目は名古屋市西区。3LDK。ドンドン広くなるぞ。なんたって音楽関係の機材が
スンゲー充実してた頃。当時最新だった88鍵のトライトンを初めシンセ数台、ギタ
ーも当然数本。サンプラーや48チャンネルのAKAIハードディスクレコーダー等、
デカイ機材が多かった。コレだけで8畳のベッドルーム満杯。
さらに本。小説やエッセイだけで床から頭の高さまで積み上がって、この頃からゴ
ッホ、ピカソ、ミロ、なんかの作画モノにも手を出し、これも6畳の和室一杯になっ
ていた。
その生活の中でトントンと子宝に恵まれ、結婚まで決まったから、どうしようかと。
思い切って8割程処分した思い出のあるマンションだ。
広さだけはあって子どもができてもなんにも困る事の無い空間だったが、如何せん
公園や山や海や田んぼや川や林が無い。子どもには自然を感じて大きくなって欲しい
と引っ越しをする。


4回目。3DK。1部屋、しかも一番広い部屋を俺の趣味の部屋にして、実質2DKの家
族の空間。ここは比較的新しくキレイなトコだった。周りには公園や田んぼや池があっ
て申し分ない日進市平針の駅まで自転車で10分かからんくらいだから交通のアクセス
も良かった。
子どもも無邪気にお外で遊び、丘の上に立つアパートだったから夜勤明けで帰る道すが
らベランダから手を振る我が子を見つける、などのハートフルな事もあった。
ただし、ここへ来る前の処分した機材関係から物欲も沸き上がり、Gibson56ゴールドト
ップやGibson ES-335をはじめ数十万のお高いギター、またPCで作業しようとDAW環境
も揃えた事での数十万など、今思えばなんであの頃はあんなに金があったんだと不思議な
20代後半。


5回目。子どもの事をいろいろと考え家を購入。この頃考えてたのは、古里とか御国。
賃貸の生活でも、勿論生活はできるんだけど、俺自身が実家に帰った時のアノ感覚は
家があってこそ。動かぬ家。子どもが大きくなって俺から離れた時に、自分が育った
家があった方が良いジャロと。んで思わず購入した6LDK。こいつも新築。
ここに移って7年くらいか。幼稚園に通い始めた長男は既に小学五年生が半分終わった。
俺は、白髪が目立ってきた。



今日の一言・・・ゲーテ
「 若くして求めれば、老いて豊か。 」