a day in the gatela

主に趣味のギターにまつわる内容を書いています。コメントや質問等、お気軽にどうぞ。

まな板本番ショーとブルース

俺の10代後半はもうグッダグダな生活を繰り返してた。
当時はサブカルチャーと呼ばれていたスポットライトに当たらない部分で
スポットライトを浴びるという大きな矛盾に満ちたアンダーなアートに溢れる
若者だった。

写真、小説、絵、エロは勿論、音楽を中心にグッダグダだった。
その中でもギターを弾いていたこともあって、とかく音楽にのめり込んでたんだけど、
当時はパンク、ハードコア、メタル、ロック、ジャズ、シャンソン、世界中の民族音楽
クラシック、フォークなんかを聴きながら、一番踏み込んでたのはブルースだった。

ミーハーな俺はブルーの入り口はスティービーレイボーンだった。
音もルックスもカッティングとリフの中間をいくようなプレイも最高だった。
そこから60年代のブルールへ入って行った。

インターネットの無い時代。深夜番組やレンタルビデオに頼りながら当時のニューオリンズ
の文化や若かりし頃のバディガイに発見や驚きの溜め息を何度もついた。

ブルースのライブで印象的な映像が、
「俺のカワイイあの子が、先週町を出て行って〜」と歌うと
「昨日、俺と一緒に寝てたぜ!」と酔っぱらった客の声。
「何百マイルも離れてるから、手紙を送ったんだ」と歌って
「あんたの家の裏に住んでるぞ」とマリファナキメタ客の声。
そういう、アーティストとファンという図式の概念が崩れ落ちる関係に
俺は音楽って自由だ、とまた発見の溜め息をついた。


そんな頃、ひょんなことから鶴舞劇場というストリップ小屋に出入りした。
そこではまな板本番ショーが連日繰り広げられていて、じゃんけんで勝った
客がステージでショーに参加していた。

ある日、70歳くらいのジーちゃんがじゃんけんに勝ち上がりステージへ。
俺はもう、どうすんだ?なにすんだ?と一寸先が解らない状況に釘付けになった。

したらジーちゃん。踊り子さんを四つん這いにして、おしりをスリスリと両手でなで回し始めた。
その手つきはキレイに円を描き、目は閉ざされ、まるで深夜に家族にも内密にしている家宝の玉を
こっそりなで回しているかのよう。
踊り子さんもなぜか嬉しそうだ。

その刹那、
「ジーさん、その尻は幻だぞ!」って酔っぱらった客。
ハッと目を開けるジーちゃん。
そして幻ではない事を確認して、結局10分間なで回し続けた。
それでも俺は思った。ジーちゃんは幻を見ていたんだろう。
踊り子の尻を通して、思い出のエロを垣間見ていたんだろうと。


これぞブルース。人生はカクアリガタキ。


今日の一言・・・モーリスメーテルリンク
「 たくさんの幸せが世の中にあるのに、多くの人はそれを見つけられないでいる。」