a day in the gatela

主に趣味のギターにまつわる内容を書いています。コメントや質問等、お気軽にどうぞ。

安倍晋三氏の国葬を巡る報道に対して思ったこと

TVやネットで見聞きしただけなのですが、私なりに心の中で感じたことを書きます。

まず、反対のデモをしている人たちの下品な姿に辟易しました。次に該当インタビューやTV出演者への振りも「賛成か反対か」という思考力の必要ない質問で、全く見る意味のないもので溢れておりました。

 

デモまでして反対を訴えている人たちは本当に日本人なんだろうか?背格好の似通った髪の色が同じだけの外国人なのではなかろうか、とまで思ってしまった。

 

安倍晋三という人は長く首相を務め、世界の中で日本の価値を高めてきた人と僕は理解している。同様に、表には出せない事だって多くあるんだろうと思ってる。分かりやすく言えばビートルズは世界中の人間を歌で幸せにした。同時に世界中で歌以外の行為によって傷つけた人がいる、と同じ話だと思う。ま、ビートルズは僕がそう思っているだけだし、ワールドワイドに活躍する人は皆そういう部分がある。家庭規模だったとしても思い違いでケンカするんだから。

 

いろんなことを実現しようと活動すれば実を結び結果を残すこともできるけど、その過程や結果として不幸を感じたり喜べない人たちだって少なくとも必ず出てくるものですよ。ましてや国家を背負った人のやることですから、その規模、人数は多いでしょう。

良いことも沢山したけど、言えないことも沢山した、なんて想像に難しくないです。

 

国民の1人としての感想ではあるけど世界の中で日本の存在感は高まっていると感じられたし、ユーモアのセンスによって政治に親近感が湧いた。要は政治が活発だったと思います。

 

で、その人が銃で撃たれて死んだ。決定できる仕組みの中で国葬が決定した。したら、安倍氏のこれまでの政治活動の中で不幸せを感じた日本人のとる行動はなにか?と問うた時、デモですかね?下品な言葉と不安定なリズムで「弔意を強制するな」「国葬より国民生活を」「説明責任」を叫ぶのってみっともないな、これが世界中に流れたら得をするのは反日国家だろうなと思った。なので冒頭に書いたように身なりが似ているだけの外国人じゃなかろうかと思った訳です。

 

僕は上手く言えないけど「武士は食わねど高楊枝」貧しくとも気高くある武士のように生きていたい。デモをしている人たちとは違うと思ったんです。

僕が国葬に反対であればどう表現するかと考えた時、国葬に対してあんなに直接的な表現で批判するんじゃなくて、物語を書いたり絵を描いたりすると思います。落語にしたら面白く皮肉れるかもしれません。例えそれを理解されるまで時間がかかったり、多くの人に伝わらなかったとしても、それを読み解いてくれる人が志を理解してくれる人であると思います。

 

あのデモで影響を受けるとしたら、表面的な部分だけで短絡的に考える人間だと思います。でも日本人はもとっと考察力に富み、思慮深い人種だと思っています。やってないので知りませんが、Twitterの文字数が150字程度でしょうか?日本人は平安時代から5・7・5の17文字で愛を語り、季節を語り、皮肉を語り、反対を表明してきたんです。

思いを声に出すこと、行動に移すことは素晴らしいとは思います。とは言えあの内容では理解に苦しみます。

 

そんなところです。まとめると国葬反対デモは見るに堪えない下劣で下品な反日行為に見えました。放送するTV局もどうかと思いました。短絡的な国民、もしくは外国人が増えてきているようです。

 

安倍元首相、お疲れ様でした。ご冥福をお祈りします。